理不尽なソーシャルワーカーの対応
誰か教えてほしい。
ソーシャルワーカーは、患者を在宅にするとポイントが上がるのか・・・
さて、介護認定の申請から特養申請と自分たち家族で全て行ったと以前のブログで書きましたが、この原因が病院側のソーシャルワーカーの対応でした。
最初のソーシャルワーカーとのミーティングで言われたこと
きっとおばあさまは要介護3~4でしょう。
→明らかに素人目で見ても、介護3はありえない。
祖母は左半身全麻痺+脳出血性の認知症ありの全介助です。資料みれば一目瞭然。
政府の方針で最近は在宅介護が主流です。お金の余裕があれば有料老人ホームの選択肢もありますが。
→介護のことを全く知らなかった私たちはこれを鵜呑みにする。
特養で患者は人間扱いされません。
→これを聞いて大事な家族をそんな場所に入れようと誰も思えないですよね。
これが決定打となり、なら家族で協力して祖母を自宅介護しようとなりました。
なぜか特養の存在を語らず、在宅一本の選択肢で進めようとする担当ソーシャルワーカー。
在宅介護でおばあさまの骨一本二本折れてもしょうがないでしょう。
→これは、素人の家族が要介護5の祖母を介護するリスクについて相談した時に返ってきた返答です。いや、あんたが言うことじゃないだろ笑!
私たち家族が本当に何かおかしいと気づき始めたのが、定期的にある主治医との面接でした。
そこではリハビリのプランや進歩の報告、リハビリ病院退院後のプランを相談します。
最初の面談で担当医から、
退院後すぐに在宅は難しいので、ワンクッションどこかの施設を考えることをお勧めします。
全介助の在宅介護は本当に大変です。最初は手厚くいろいろなサービスを使ってご家族の負担を少しでも減らしてください。
最初の入院の際に、私たち家族が可能な限り祖母を連れて在宅に戻ることを希望してたので、それを考慮しての担当医師からの言葉でした。
このへんで明るみに出た、ソーシャルワーカと医師との方針の違い。
本当に空気が読めいないソーシャルワーカーか・・・
医師とこの方針を反している時に、後ろで待機していた彼女が突然会話を遮って、
医院長!自宅訪問の日程を決めてください!
と割り込んできた。
自宅訪問とは、在宅介護を希望する家族の家をソーシャルワーカーが訪問し、介護に当たって家の問題点たリフォームを提案する機会です。
いやいや、今医院長のお話聞いてたでしょう・・・
この医師との面談を境に、今まで私たち家族に強気で在宅を進めていたソーシャルワーカーの態度がころっと変わったイベントでした。
次会った際には、
施設ご検討されました?
在宅方針が一変、自分があんだけ在宅を進めていたから少しバツが悪そうに聞いてきました。後から看護師から言われたのが、普通介護施設をリストアップして提案すのがソーシャルワーカーの仕事ですと教えられました。もう彼女は職務放棄です
結果から言うと、私たち家族と病院の間に入っていただいていたケアプラザ職員にソーシャルワーカー変更を勧められ、新しいソーシャルワーカーにチェンジしてもらうことになりました。
病院でまさかのソーシャルワーカーチェンジを経験。
むしろ現場で働く看護師さんたちから心配され謝罪される始末。
(そのソーシャルワーカーから挨拶や謝罪は一切なし)
ここまで話してみると、私たち家族側に何か問題があった、モンスター家族だったのかという懸念も出てきますが笑、医師・看護師あっちとの関係はいたって良好でした。
現場で祖母をよく見ていただいていたので、介護の現実やアドバイスをよく頂いていました。
なので、本当に今回の経験は謎が多いのですが、
突然家族に病気にが降りかかり、気が動転している中で最初にその家族と密に接触するのが、ソーシャルワーカーです。ソーシャルワーカーも仕事です。いちいちその家族の心情に気を使っている暇はないのかもしれませんが、やはり今回気が付いたのは、
正しい人への相談と正しい情報です。
おそらく同じソーシャルワーカーの言うことを信じてその通りに動いていたら、まだ病院で次の施設が決まらず、心休まらない日々が続いていたと思います。
在宅という選択肢をとっていたら、家族ともども共倒れになっていたと思います。
ソーシャルワーカーで無駄な時間・ストレスを抱え込むことは、本当に無駄です。
その時間・労力があるなら祖母に使ってあげたい。
稀なケースだったとは思いますが、おかげで介護制度など詳しくなれたとポジティブに考えようと思います。
異例の早さで特養入所が決まる
最近仕事の納期と祖母の特養施設への引越しが重なり、大分バタバタしておりました。
なんと7月後半に特養に応募し、なんと三日後に施設の方からコールバックがありました!!
身内が必要になる状況にならないと、特養という言葉なかなか知らない人も多いと思います。
特別養護老人ホームとは、在宅での生活が困難になった要介護の高齢者が入居できる公的な「介護保険施設」の1つです。「特養」と呼称されています。
今問題になっているのが、「特養入居待ち」。
民間の有料老人ホームに比べ金額が断然安く、施設によっては100人以上順番待ちをしていて、2~3年待ちも珍しくないようです。
しかし最近特養に入る基準が変わり、要介護3以上と介護度が重かったり緊急性を要する場合には、優先して入居できるようになりました。
祖母は要介護5。それでも待ちを覚悟してくださいと言われていた中でも、何と書類を申請してから3週間以内に新しい施設に入れたという異例のスピードでした。
リハビリ病院の看護師の方々やその他関係者から、本当にラッキーだったといわれています。
今回、申請書の提出から全て私たち家族で行いました。
本当は病院にいるソーシャルワーカーが間に入って、こういう手続きを全てやってくれるはずだったのですが、私たちについたソーシャルワーカーがあまりにもひどく・・・(話が長くなるので別の記事で書きます。)
自分家族でやったほうが、時間もストレスも軽減されると思い、近くのケアプラザの方のアドバイスをもらいながら行いました。
これが吉となり、無事特養入所が決定しました。
地域のケアプラザの方の的確なアドバイスにより、書類の書き方プラス特養の現状などを考慮して、うまく申請の通りやすい書類を作成できました。
ここで一個大きなポイントとなったのが、
特養のユニット型(個室)の選択
ユニット型のデメリットは、多床室、いわゆる相部屋と比べて金額が高くなります。
やはり入居者やその家族にとってお金の問題は大きく、多くの方が多床室を選択するようです。
その理由(おかげ)で、多床室よりもユニットの方が空きがある可能性が高いとのこと。
特養を申請する際に、第5希望まで希望を出せます。
今回、第2希望と第4希望の施設から電話がありましたが、やはりユニット型の施設から声がかかりました。
私たち家族の優先順位は、
- 家族が家から通える範囲
- 幸いにもおばあちゃんがしっかり貯蓄して年金を受給しているので、きちんとプライバシーが守られる場所でゆっくり生活できるユニット型に入れてあげたい
あとはもう高望みはしないので、どうか空いているところに入れますように、そんな感じで、施設から連絡が来るまではドキドキ落ち着かない日々を過ごしていました。
そしてまさかの3日後に電話。
ソーシャルワーカーのせいで、特養に対して悪い印象しかなかった私でしたが、すっごく丁寧な対応。今までの病院と違い相手もビジネス、私たちをお客様として対応してくれます。新しい施設側の職員が段取り良く祖母と面接、病院からの健康診断の結果確認、家族面談を経て、あれよあれよと入居が決まりました。
入居して一週間。
多床室とは違い、面会へ行くストレスがかなり減りました。
今は徐々に部屋をデコレーションして祖母が寂しくなうように、家から見慣れた家具を持って行ったり、個人的にも楽しんでいます^^
今度は特養での生活の様子を書きたいと思います。
*1:引用:kaigo.homes.co.jp
祖母の脳内出血の兆候ー祖母が倒れるまで過ごした6ヶ月間。
20代半ばから海外をベースに過ごしていた私は、帰国するたびに家族の”老い”を人一倍感じていました。
- 白髪は増えたな〜
- シワが増えてるな〜
- 疲れやすくなったな〜など
まぁ確実に自分も歳をとっているのはさておき・・・
今でも祖母に対して大きく残る後悔。
それは、兆候を察して脳外科専門の病院に連れていったら、今と結果は変わっていたのではないか。祖母と過ごした日を遡って、あれが兆候だったのではないかと、そんな間違い探しを未だに繰り返しています。
脳出血が起こる前に兆候はあるのか?
ここからは私が体験した個人的経験を書かせていただきます。
1. 同じことを繰り返ししゃべる
もしかしたら認知症のサインでもあったのかもしれません。しかし単純に老化からくる物忘れなのかどうなのか、素人には判断が難しいところです。
2. 過去の記憶がすっぽりなくなる
これは私がずっと引っかかっていた出来事でした。
私が小学生の時に、祖母が木下大サーカスを見に連れて行ってくれたことがありました。
炎の中ライオンが出てきたり、非現実的で感動的なパフォーマンスの数々。そんな思い出をなんと祖母が忘れていたのです。数年前まで覚えて、話していた、絶対忘れることのできない二人の思い出です。
ショックでした。
「何、おばあちゃん忘れちゃったのー?」
なんて言って笑って、話題を変えましたが、何かおかしいという気持ちを持ちながらも、これが老化なのかなと思いつつ、大きな違和感を覚えたこと今でも鮮明に覚えています。
3.半身の冷え性
これも直接脳出血と関係あるのか疑問ですが、祖母は昔から大の冷え性。
しかもなぜか左半身だけが特に冷えるという症状がありました。
私が帰国している間の6ヶ月、実は祖母にも自分が忘れっぽくなったという自覚がありました。プラス、左半身の冷えもあり、祖母は冗談で私に、
「もうおばあちゃん、脳の半分働いてないのね〜」
なんて言っていた矢先の脳内出血が起こりました。
4. 薬の管理ができない。(飲み忘れ+過剰摂取)
今までのおばあちゃんならありえないことだったと思います。
私が帰国してからは、出不精になっていた祖母を連れ、脳外科以外は全部行ったといるほど病院に連れまわしていました。
なので、常備薬に加え新しい薬の増えていたので、混乱していた祖母に、ピルケースを用意しました。
一回の飲む量を全て用意し、マジックで朝・昼・晩と絶対間違わないようにしましたが、なんとそれでも起こる飲み忘れ・過剰摂取。
内科、胃腸科、整形外、眼科など病院を全て回った後の脳出血。
余計に、なぜ脳・・・という悔しさ。
なかなか家族という近しい間柄でも、脳外科に行こう!なんて、相手のプライドを傷つけることなかなかいえないですよね。。
何かおかしい違和感って意外に当たってるのだと、そこで行動を起こすか、起こさないかで運命が変わっていたのかなーと自問自答を繰り返すています。
突然降りかかった家族の介護
今年(2018年)、祖母が脳内出血を起こし、急性病棟を経て、現在リハビリ病院で入院をしています。
当日まで身の回りのことは、すべて自分でこなしていた祖母。
・・・今思えば予兆はあったのかもしれないですが、次の日も一緒に外出する予定がありました。
人の迷惑になるのが人一倍嫌いな祖母。
そんな祖母が半身不随に加え、脳出血性の認知症がかなり一気に進んでしまい、病院に駆けつけた際には、私が知っているいつもの祖母の姿はそこにはありませんでした。
でもたまに見せる、”祖母らしさ”を見つけるたびに、胸が苦しくなり未だに涙してしまいます。
会話のキャッチボールはほぼほぼ不可能ですが、脳損傷のため単に言いたいことが言えてないだけで、私たちを理解してくれているのではないかなと期待も持っています。
幼少時から誰よりも多くの時間を過ごしてきた祖母とは、孫と祖母以上に何か特別な関係だったと思います。
最愛の人が脳出血や認知症になっていく姿を見るのは本当に辛いです。
他人事だと思っていた介護。
他人事だと思っていた超高齢化社会。
自分の気持ちの整理も含め、
介護のこと
病院のこと
お金のこと
保険のこと
後悔のこと
あまり暗くなりすぎずマイペースに更新していければと思いますので、これからよろしくお願いいたします!